「断層」について



 サーカスは、見に行かない。
 テレビで、サーカスや曲芸、イリュージョンの類を見るのは好きだ。が、ナマで見ようとは思わない。
 何か、不測の事態が起こる気がするからだ。

 中学生のときだった。学校の体育館で、曲芸の催しがあって、その中のひとつに、「足芸」というのがあった。要するに、足だけを使ってやる曲芸のことだ。
 その時も、舞台にしずしずと、派手なキモノを着た曲芸師のおばさんが登場。
おもむろに、舞台の真ん中で観客に向かって横様に寝転び、足を高く上げて、助手が持ってきた、一抱えもある漬物を入れるような壺を、白足袋をはいた両足の裏にのっけて、くるくると回しはじめた。白足袋はリズミカルに小刻みに動いて、それを重心に壺は上下左右に、体勢を変えながら回る。
 …ところが、一分ほど経ったころ、何の前ぶれもなくバランスが崩れ、
壺は、スローモーションのように床にごっとんと落ちたと思ったら、
「ぱっか・・・」と軽い音とともに、真っ二つに割れてしまったのだ。
 あまりのことに観客は唖然…というか、声を出すことも忘れていた。
 私は一瞬、その後のおばさんの狼狽ぶりを想像して、気の毒な感情がわいた。ところがおばさんは悪びれる様子もなく、泰然とたちあがり、
「このようなことは、五十年か百年に一度のことでございます。皆さんは、めずらしい瞬間をご覧になったのです。」とのたまったものだ。
 何事もなかったように足芸は続き、その日のプログラムはつつがなく終わった。だが私は、壺が割れたことだけが印象に残ってしまい、その後の曲芸については一切憶えていない。

 それからだ。自分をとりまく世の中のフレームが、微妙にゆがんでいることに気づいたのは。
 それまでは、世の中は、何かが起こっても予定調和的に元どおりになるものだった。いじめっ子に頭を叩かれたら、母親が頭をなでてくれる。宿題を提出しわすれても、次の日に提出すればなんとかなる。
 だが、割れてしまった壺は、元には戻らない。その記憶は脳に焼きついて、「その前」にはもう戻れない。断層のように、「その前」と「その後」が私の時間の中で亀裂をつくったのだった。
 そして世の中には、私が感じた程度ではない大きな「断層」が、ある国のある世代の人々の時間に存在するらしいと気づいた。

 私の実家にはかつて、私の「祖父」というにはあまりにも若い美青年の遺影が飾られていた。二十代で南方のサイパン島近くで戦死したのだという。若くして夫に先立たれた祖母は、母に言わせると「腑抜け」になってしまい、病弱で、いつも北の部屋から暗い顔をして小言を云っていた。父はそういう姑を嫌い、家の中は不和が絶えなかった。
 戦争の記憶という巨大な断層が、我が家の中にも影を落としていたのだ。
 そしてそんな断層は、私が大人になってからも、世界中のあちこちで天災や人災という形で、口をあけた。近年だけでも、湾岸戦争、オウムの犯罪、阪神大震災、9・11のテロ、イラク戦争、そしてスマトラ沖地震の大津波、という具合に。

 怖いと思うのは、こちらが忘れかけている頃に古い断層がぱっくりと口を開け、パンドラの箱のように厄災をまき散らすことだ。
 最近の中国の「反日デモ」や、韓国との竹島問題も、過去の日本の両国への侵略と支配の歴史と複雑に絡まっていて、個人でも「知らなかった」では済まされない問題があるのだな…と思う。私も、知っているようで知らなかったことがあったと思い知らされたので、学校では教わらなかった三国の過去の歴史について、調べている最中だ。
 それというのも、今、知っておかないと、お尻に火がついているような気がするからだ。
 教育基本法や憲法「改正」を目指す動きなど、国の進路の根幹にかかわる変化が、それこそ津波のように、個人の自由などやすやすと押し流すような気がしてならない。そうなる前に、多少なりとも、自分の言葉でメッセージを発する事が出来ればいいと思っている。

 「断層」から目をそらすのでなく、見据えて、忘れない方がいい。
 忘れた頃に再び、ぱっくりと立ち現れるかもしれないから。

 ずいぶん、強面な話になってしまったが、こんな話をする機会はそうないので、お許しを。
 ところで、あの曲芸師はまだ、足芸を続けているのだろうか。
 彼女の言葉を信じるなら、再び壺が割れるのは、まだずいぶん、先のはずなのだが…。


   同人詩誌「めろめろ」134号より      
                  (2005.5.11発行)